京都生まれ
血液型 A型
好きな食べ物 カレーライス、ラーメン
嫌いな食べ物 レーズン
趣味 今はあまり…ですが、たまにす するのは散歩、サイクリング、
ドライブ。(移動ばっかり…)
小・中・高と京都の学校に通う。
一浪して大阪の大学(心理学部)に。
それから鍼灸師になるまでの道程をだらだらと書いてみました。興味のある方だけどうぞ。
大学生になって転機が訪れます。
一回生になったばかりの春、中国の有名武術家が京都で指導を始めるという新聞記事を見てすぐに入門しました。(ブルース・リーに憧れていたので格闘技への興味がとてもありました。高校生の時はフェンシング部に入り、夜は空手道場に通っていました。)
そしてその秋、今度は大学の体育会日本拳法部に少し遅れて入部します。
実は入学まもない頃から気になっていたのですが、道場を覗くと道着でサングラスをした怖そうな人がいて「あの人たちやばいかも!」と慎重になっていたのでした。結局は怖さよりやりたい気持ちが勝って2学期初日、部室のドアをくぐりました。
当時の練習はかなりきつく恐怖の時間でしたが、いつの間にか楽しくて仕方がないクラブに印象は変わっていました。もちろん張り詰めた空気が漂うような時間も過ごしました。あっ、サングラスの先輩は実はとてもいい人でした。
いろいろあって在学中、念願だった北京体育大学に半年間の留学をすることが決まりました。中国武術を学ぶためです。留学して入りたての頃は自分の学ぶ種目の受講生(留学生)が他におらず、なんと過去に剣と槍で中国チャンピオンになった先生にマンツーマンの指導を受けることができました。最初は体が思うように動かず、あまりのひどさにあきれ返られて相当しごかれましたが、数か月経つと「日本でならいいとこいけるぞ」とまで言われるように。
その時現地で知り合った日本人の方から、「井上くんは、こっちのほうに興味があるんじゃないか?」と言って、なんと鍼灸で使う経絡経穴図のポスターを突然プレゼントしてくれたのです。
その時は「そうかなぁ」くらいでしたが、それが鍼灸を始めるきっかけとなったのかもしれません。
日本に帰国するとまもなく大阪の大学を卒業。その春からは社会人となって中国武術も徐々に遠ざかっていきます。
社会人としてまず勤めたのは、京都の呉服問屋の営業です。関東方面、北海道の出張も多く、仕事は楽しかったのですが阪神大震災をきっかけに何か人の役に立つことがしたいと退職。
障害者無認可施設の指導員になりました。給料も半分近くに減りましたが仕事は楽しく人のために役に立つという充実感の反面、今度は自分を犠牲にしていることに気付きます。仕事はどんどん責任がついてまわり、ストレスが高じて神経症になってしまいます。これは心身共に持たないと自分の本当にやりたいことを真剣に考え、何がいいのか散々迷って友人にも相談したり、最後に行きついたのが鍼灸師でした。
でもその時、経絡経穴図のポスターのことは頭から全くありませんでしたが、格闘技をしていたことが大きな要因であったのも事実です。
あれほど辛かった神経症の症状が、鍼灸師になりたい!と思った直後からなくなっていきます。
鍼灸マッサージの専門学校で3年間勉強しましたが、小学校から大学まで勉強が嫌いだった自分が、初めて勉強が楽しいと思えた時でした。
楽しいとは言え、鍼灸にはたくさんの流派があります。
中国鍼灸のように太い鍼を深く刺す方法、スポーツ鍼灸など筋肉に刺した鍼に電極を当てる方法、症状のある場所以外に鍼を浅く刺す方法、気功か超能力のような気を操作する方法など様々です。クラスメートでも早くから某流派の勉強会に参加する人もいて取り残された感がありましたが、自分にはなかなかピンとくるところが見つかりませんでした。
とりあえずあまり流派には関係ないような勉強会には行きましたが、もうひとつパッとしません。
そんな時に出会ったのが、滋賀漢方鍼医会でした。
刺さない鍼との出会いです。
最初は半信半疑でしたが、正に「自分の求めているものはこれだ!」と直観。
一度見学に行くと、すぐ入会することを決めました。
それが今に続いているのです。